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主に虚構に関する生起しつつあるテクスト

21世紀東欧SF・ファンタスチカ傑作集『時間はだれも待ってくれない』 高野史緒◎編 <後>

時間はだれも待ってくれない

時間はだれも待ってくれない

 

 

 だいぶ時間が空いてしまったが、ようやく <後> と相成った。

 えすえふ関係で色々とごたごたしていたのですが、それについてはそのうち。

 

ポーランド

「時間は誰も待ってくれない」

著:ミハウ・ストゥドニャレク

訳:小椋彩

 さてさて、表題作。

 ぼくのように妙なえすえふをぐふぐふ言いながら読み漁っている人間は別として、読者の中にはこの魅力的なタイトルに魅かれて手に取るものも多そうだ。

 はっきり言ってポーランド文学で世界文学的に読むに値するのってレムだけじゃないのと思う向きもあるだろう。ぼくもそう思う(ポーランドの小説なんてレムしか読んでないけど)。

 まあそれは良い。みんな大好き時間SFである。時間SFっていうと大抵ロマンチックな感情がべたべたと糊塗されたもんばっかしで、「くやしい…! でも…感じちゃう!」という不本意な思いをさせられることが多いので、あまり好みではない。

 でも、フリッツ・ライバーの<改変戦争>は良いよね。

 閑話休題.

 本作は、郷愁を織り交ぜながら、可視化され再体験可能となった過去に直面する青年を描いている。あるとき青年は、大戦で崩れ落ちた街並みが記憶の通りに現在の街と重層的に存在することに気づく。一年に一度、古い建物がかつての場所に帰ってくるのだという。

 その重なり方はどこかミエヴィルの「都市と都市」を思い起こさせるが、すべての人々がそれを見ることが可能かという点で違いが生じている。過去に関する思い入れを持つ人間だけ、恐らく過去の建物の記憶の一部であるようなことに自覚的な人間だけがみることが出来るのではないか。

 主人公の祖父は語り部であり、彼は祖父から聞いた遠い情景への憧れが精神のどこかでくすぶっているような人物であることは見逃せない。

 主人公を導くのが骨董屋のおやじであることも無関係ではなさそうだ。

 ぼくはこの短編を気に入った。かなりドライである。話の筋としては懐古趣味とともにおっさんと青年の二人が別のおっさんをこっそり追いかけるだけ。

 どこにもべたべたしたところはない。

 われわれの記憶にある過去の風景とはどういうものなのだろうかという考え、さらに最後まで読めば分かるのだが、現在からみた過去ではなく、さらに未来からの視点、現在すらを過去化するような視点があるのが面白い。

 こんなこと言ってるとちょいと小難しい話な気もしてくるが、そんなこともない。

 主人公たちと一緒になって重層的な街並みを追体験してみるのも楽しい。

 この本全体の中でも一番と言わずとも(好みの問題がかなり混ざってしまっているけど)、上位にくる短編だと思う。

 

旧東ドイツ

「労働者階級の手にあるインターネット」

著:アンゲラ&カールハインツ・シュタインミラー

訳:西塔玲司

 これもなかなか面白い、そもそも時間がなんちゃらなどという軟弱っぽいタイトルよりは変てこで好きだ。しかも同じく時間ものである。

 東西統一後のドイツでハイテク研究所の職員である東独出身の男の元へ、自分と同姓同名の人物から今は無き東独ドメインのメールが届く。

 メールは単なるいたずらなのか、それとも過去から? 歴史改変された現在から? とすれば平行世界(オルタネートワールド)から?

 翻訳の方が頑張りまくっているおかげか、お前はストロスかいなとゆーくらいにジャーゴンやSF的ワードが乱舞するのが気持ちよくて仕方なかった。

 中二病でええやん!

 また終わり方も好きだ。通り一遍のハッピーエンドでもバッドエンドでもない。

 真実は時間と空間の彼方に消える。

 

 

ハンガリー

「盛雲、庭園に隠れる者」

著:ダルヴァシ・ラースロー

訳:鵜戸聡

 作品と関係ないところで、一つ

 姓:ダルヴァシ 名:ラースロー

 だそうで。

 ハンガリーで何故か中華ファンタシーなんだけど、面白い。

 マジャール人てアジア系の民族なんですよ、奥さん。

 うんまあ、中学の頃にヴァンパイヤー戦争とか読んで知ってたよ。

 内容は、すげータイトルまんま。庭園で繰り返される皇帝VS田舎っぺの兄ちゃんの仁義なきかくれんぼバトル。

  しょうもなさそうに見えて、権力構造に対する皮肉と寂寥感にあふれる怪作。

 雰囲気は勝山海百合せんせーの「さざなみの国」に近い気もする。短編だけにずっと唐突で、さらに嫌な感じだけど。

 こういう変なもの読めるのはアンソロジーの楽しみの一つですね。

 

<ラトヴィア>

「アスコルディーネの愛―ダウガワ川幻想―」

著:ヤーニス・エインフェルズ

訳:黒沢歩

 わりと分かりやすく詩的幻想にあふれた作品。

 河川にまつわるヨーロッパ的幻想というのは面白い。詩的と言ってもうざったいロマンスだけでなく、恐怖的(ホラー)なものがうまい具合にミックスされていてうれしい。

 正体不明の船とそれにまつわる事件の真相が矛盾の孕みながらも断片的に繰り返し語られていく。心理学的モチーフについて編者は述べているが、まあそこまで深く考えなくても、意外とミステリ的に楽しめると思う。

 ただし、フェアな情報開示が行われているわけではないので、パズラーは期待しないで下さい。だまされるのが好きな人にはお勧め。

 

セルビア

「列車」

著:ゾラン・ジヴコヴィチ

訳:山崎信一

 きゃー、ユーゴスラビア問題と絡められると弱いんですわ。米澤穂信さよなら妖精」のせいだ、こら。言うほど絡んでないけど。

 融資に悩む銀行顧問が列車のコンパートメントで ” 神 ” と出会う話。

 嘘じゃないんだってば!

 神が神であることに違和感を抱かず受け入れるってのは、一種の天啓じみたところがある。ふつーのおっさんに見える神曰く、なんでも聞きたいことに答えてくれるらしい。そこで銀行顧問のおっさんは……。

 この話は悪くないけど、分かりやすくオチつけてしまうよりはそうしない方が良かったんじゃないかと思う。

 かくして、コンクラーベSFで始まった本書は神との邂逅SFで終わりを告げるのだった。編者は狙ってるだろうに、指摘してる人はあんまりいないような。

 まあぼくも先日アンソロジーの組み方について色々考える機会がなければアレでしたでしょうが。

 

 

 全体的に大傑作とか言う気はないけど、幻想文学が好きな人は読んでおいて損はありません。てゆーか読め。お布施を払って、創元がまたこういう企画を組めるようにしましょう。

 

 次回はこちら、R.A.ラファティ「第四の館」をレビューしたいと思います。