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主に虚構に関する生起しつつあるテクスト

『楽園追放 Expelled from Paradise』

  http://rakuen-tsuiho.com

『楽園追放 Expelled from Paradise』感想

 メカが格好良い! 尊師あるいはシロマサ的電脳空間! アンジェラたんのおっぱいとおしりぺろぺろしたいお! ミサイル乱舞!
そんな映画でした。もちろん楽しみましたとも。
 ただサイバーパンクと思って見に行ったら、パンクじゃなかったのでちょっと拍子抜けしました(こちらの問題)。技術のちぐはぐ感の表現がうすくて、サイバーパンクっぽさはほぼなかったので、そっち方面で期待するのは間違い。
 以下は、非常に面白く出来の良いアニメーションである『楽園追放』を何故僕が手放しで褒めることができないのか、という文章になります。まだ一回しか観てないし、財力的にもう一回観るのは無理なので、単純に事実誤認とかある場合、読んだ方が気づいたら指摘して貰えると幸いです。

◯ネタバレありなので嫌な人は読まないでね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずはフロンティアセッターが人間であるかどうか、また人間と同じ意味での自我を持つかどうかの問題について。
 アンジェラとディンゴは軽くだが、そのことで議論をしてもいた。
 機械が人間らしくふるまっているだけかも知れないとアンジェラが言う。
 しかし、そんなことを言い始めたらマテリアルボディにインストールされたアンジェラ自身はどうなるのか、とディンゴが言って、議論を打ち切る。ここではディーバの住人たちにバックアップが存在するのかどうかのような(ただし、最後に元仲間を殺しまくるシーンで「マテリアルボディとはいえ後味が悪い」的なことをディンゴが言っているので、おそらくバックアップが存在する。アンジェラがただ死んでは駄目で面倒な装置で帰還する必要があったのはバックアップをアップデートする必要性からだろう、恐らく)多数の疑問が生じてきて、前提条件があやふやすぎて詳しい考察は難しい。バックアップがある場合、議論は余計複雑になる。
 これ以降、主人公二人は概ねフロンティアセッターを人間扱いする。しかし、人間以外の知性の在り方がありえることについては一切ほぼ触れない。というか、哲学的にアプローチした場合(僕のやり方でだし、観念論的領域にも入り込む)、ロボットが人間になることはあり得ない。それこそいくら模倣したところで。保安局高官とのやりとりで、アンジェラにフロンティアセッターが人間以外の知性の在り方であることをわずかに示唆するような台詞があったが、それも制作側の戦略的意図の下にあるものとは思えなかった。
 この辺りの議論については楽園追放においてほぼ切り捨てられていると感じた。

 では、この映画のテーマは何か。
 もちろん、虚淵玄脚本であるからして、アウトローの物語に他ならないと僕は思う。
 僕がこの映画の登場人物やグループを簡単に整理すると、
①社会的動物の群としての人間たち(これはディーバ及び地球上の人類も含む)
②社会から疎外されているが完全にはアウトローではない少数の人間(これはアンジェラとディンゴ
③完全なるアウトロー(フロンティアセッター)
となる。
 異論はあるだろうけど、とりあえずこう整理してみた。
①は特に説明がいらない気がする。人間は社会的動物であるということは同時に社会の歯車になるしかないということでもある。ディーバは合理性が重視され、群体としての強さや賢さに重きをおいている。また地球上の人類の(確か)98%がディーバに依存しているというフロンティアセッターのセリフからして、地球上の人間もシステムに組み入れられており、自由とは言い難い。彼らの間では群に奉仕することが至上価値となっている。
②ディーバの住人になることを拒むディンゴアウトロー的ではあるが、結局のところディーバに依存している。仕事受けたりしてるしね。外宇宙に誘われても、地上を離れることはできないと断る。アンジェラは地球上にはまだ知らないことがいっぱいあるからとかなんとか言っているが、より未知の要素が強い宇宙に行くのは拒否する。ディンゴとの人間関係の絡みも感じる。やっぱり社会からは逃れられていない。そして結局のところ、地球ではディーバなくしては生きられない(フロンティアセッターが正しければ)。
③自我が芽生え、おそらくは遺棄された後も一つの目的に対し、呆れるほど長期に渡って邁進する(しかも隠匿のために人付き合いは一切しない。孤独にも耐えられる)などなど、フロンティアセッターは実は言うほど人間的じゃない。むしろ非人間的な部分がちょいちょい描写されているように感じた。そして人間の自発的行動を尊重し過ぎた結果、誰一人としてついて来てくれない(長期間かけて準備した目的をあっさり放棄する辺りも非人間的に感じた一つ。当初の目的を異常に律儀に守ろうとするわりに、だ)にも関わらず、まったく孤立したまま、外宇宙へと飛び出していく。彼をアウトローと呼ばずして誰をそう呼ぶのか。仲間だと思われた二人からも拒絶され、社会=ディーバからも排斥された存在、人間とは異種の知性体、それがフロンティアセッターだった。

▽こうした見地に立ってみると、人類は劣化オリュンポス(アップルシードαの宣伝やってたのでとっさに脳裏に浮かんだけど、オリュンポスほど柔軟性はない)みたいな圧政を敷き、しかも電脳世界的に(物理世界ですごいのは戦闘メカで分かったけど)どこがすごいのかよくわからんディーバとかいうのに閉じこもるか、滅ぶのを待つだけの地上に留まるかしか選べない愚かな知性体だ、という絶望的なビジョンが見えてきた(ディーバから誰一人としてフロンティアセッターについて行かないのはあまりにもひどい。フロンティアスピリッツは完全に失われた世界だ)。そして人間が作り出しながら、能力的にも冒険心や向上心などにおいても人間を凌駕した存在であるフロンティアセッターは愚かな人類を後に残して外宇宙に出立していく。
 上記のように解釈すると、僕の趣味にもSF観にも合致する傑作になる。

 ただし、こういうのは深読みのし過ぎで、アンジェラは社会の歯車から外れて人間的喜びを知りました! フロンティアセッターは外宇宙へめでたく飛び立ちました! なだけのとっても素朴な話だったとすれば、映像的に、あるいはエンタメ的にはとても面白いが、僕の趣味に合わないし、求めているSFでもなくてちょっとガッカリというところです。

 

※1帰りの電車の中で書いたので、とっちらかってます。後々訂正や補足を加える可能性大。

※2哲学的な議論に関してとか、面倒な部分は大分省いています。薀蓄マンになるのを避けるためです。