« THE FANTASTIKA ARCHIVES »

主に虚構に関する生起しつつあるテクスト

このブログについて

 SF、怪奇、幻想、そういった全てのジャンル・フィクション、ぼくの愛するものを包括的に呼ぶ言葉が欲しいので、 « FANTASTIKA » を便宜的に当ててみようかと思ったのです。

 

 « FANTASTIKA » とはキリル文字の « фантастика » をアルファベットに置き換えたもの。ロシア語で、空想的・荒唐無稽・怪奇なもの、そして幻想小説を指す。

 ここは僕にとってファンタスチカ的と思える文学・映画・音楽等についての文章を載せる場所です。

 

※諸事情につき、一部記事を非公開にいたしました。

 またAmazonアソシエイトを利用していますので、アフィ嫌いな方はご注意下さい。

 審査落ちたので、ソース開くとアフィ使ってるように見えますが、実際は使ってません。

Freeciv村人会様とのリンク

 Freeciv村人会様と相互リンクを貼らせて頂きました。

 今後ともよろしくお願いいたします。

freeciv-vc.hatenablog.com

 Freecivとはオープンソースで開発されている「Civilization」式の多人数ターン制ストラテジーゲームである。もちろん無料だ。Civilizationを知らない人に説明すると、すごく複雑なシムシティだと言えばわかって頂けるだろうか。

 惑星上に大陸や島嶼を設定(マップの生成)し、プレイヤー各々が一つの勢力を受け持ち、勢力ごとにばらけて配置された初期ユニットを使ってそれぞれが周囲の探索を行い、まずは入植都市を建設し、生産を行い、都市と都市を道路で繋ぎ、技術を研究開発し、農地を開墾し……と一通りに着手する頃には他プレイヤーの勢力圏と自らの勢力圏が接することで外交の必要性が生じてくる。プレイヤーは、自らの勢力の発展状況や地勢や国際情勢さらには他国の思惑まで考慮して、同盟か敵対か(場合によっては戦争も)、あるいは中立か、国交はどの程度まで行うか、といった現実の国家元首に求められるのと同じような(ただし簡易化されてはいる)判断を求められる。

 ここまで聞いて「これってSFじゃね?」と思った勘の良いそこの貴方、そうですSFなんです。架空戦記等のシミュレーション小説がSFのサブジャンルであるのと同じ程度にはSF的です。

 世界そのものをシミュレートするというアイデアは、古くはハミルトンの『フェッセンデンの宇宙』からディックの『世界をわが手に』などの作品で扱われ、最近ではヴィンジの『マイクロチップの魔術師』の直系の子孫ともいえる『ソードアート・オンライン』のような(『クリス・クロス』も忘れちゃいかん)VR技術の成立を下敷きにしたSF小説もヒットを飛ばしています。

 舌の根も乾かぬうちに言いなおしますが、未来の(あるいは架空の)技術、文化、環境等を導入して世界のシミュレーションを行うことがSFの本道であることを考えると、シミュレーションゲームほどSF的なゲームは存在しないと言えます。

 Freeciv村人会は、僕の友人が運営するFreeciv関連の記事を掲載するブログです。彼の濃さは長年の付き合いである自分が保証するところですので、興味深い記事をどんどん掲載していってくれると思います。興味を持ったSFファンはさあFreecivをインストールするのだ!(リンクも踏んでねw)

 

【Freecivプレイヤー向け小説集】

 さて、せっかくなので書評系ブログらしく、うっかりリンクを踏んづけて飛んできてくれたFreecivプレイヤーの皆さん向けにいくつかおすすめ作家と作品を列挙させて頂く。ブコフでたやすく入手できるよう有名作品でかためてみた。

《日本》

佐藤大輔

『レッドサンブラッククロス』シリーズ

 ドイツが快進撃を続け、日米英が同盟した世界線における第四次世界大戦のストラテジーゲームのノベライゼーション。作者が御大である以上未完は不可避。日本産の戦争シミュレーション小説を読むならまずこれからという一品。

谷甲州

 『航空宇宙軍史』シリーズ

 いきなり近未来SFで宇宙戦争だが、FTL航法もなく、強いAIもいないリアルでハードな戦争シミュレーション。シリーズ通じての主人公といえるキャラはなしで、太陽系内の各戦域における局地戦を淡々と描いていく。おっさんたちがクソ狭い船内で額を突き合わせながらひたすら軌道計算を繰り返し、推進剤の残量を気にしながらする戦争を見たい人にはお勧め。掃海部隊や輸送部隊の活躍も見れるぞ! リソース管理系シミュレーション小説。

《海外》

トム・クランシー

『日米開戦』

 これを読まなきゃ始まらない。ジャック・ライアンシリーズから一編。中国インドと組んだ日本VS米露の対決。ラストの展開を描いたせいでクランシーは9.11の後、(未来予測が的中しすぎたため)CIAに取り調べを受けたらしい。非常にリアルだが、エコノミックアニマルのイエローモンキーどもを懲らしめてやるというヤンキーのノリで描かれているため、読むと不快になる日本人もいるらしい。クランシーは愛国右翼なのは間違いないが、小説は面白いので気にするな!

『レッド・ストーム作戦発動』

 ボンドとの共著でクランシー初期の傑作。一部のファンはこれだけあれば良いらしい。"作戦発動"は"ライジング"と読め! NATO軍VS(今は亡き)ワルシャワ条約機構軍との全面戦争を描く。戦争で見たいシーンは大体詰まっている。

〇ラリー・ボンド

『侵攻作戦レッド・フェニックス』

 クランシーの相棒ボンドが描く第二次朝鮮戦争北朝鮮がまた軍事侵攻を開始したらどうしようというのは日本人なら誰でも気になることでしょう。そんなときにはコレ! 北の特殊部隊のヒャッハーな様子から北が崩壊した後の対策まで完備しています。どうでしょうお得でしょう? これがブコフでたったの百八円!(深夜のTVショッピングのノリで)

 

 Freecivで内政は得意なのに戦争になるとジリ貧とお嘆きの貴方、軍事シミュレーションを読んで兵法に(気持ちだけ)熟達してみてはいかがでしょう。

 

『楽園追放 Expelled from Paradise』

  http://rakuen-tsuiho.com

『楽園追放 Expelled from Paradise』感想

 メカが格好良い! 尊師あるいはシロマサ的電脳空間! アンジェラたんのおっぱいとおしりぺろぺろしたいお! ミサイル乱舞!
そんな映画でした。もちろん楽しみましたとも。
 ただサイバーパンクと思って見に行ったら、パンクじゃなかったのでちょっと拍子抜けしました(こちらの問題)。技術のちぐはぐ感の表現がうすくて、サイバーパンクっぽさはほぼなかったので、そっち方面で期待するのは間違い。
 以下は、非常に面白く出来の良いアニメーションである『楽園追放』を何故僕が手放しで褒めることができないのか、という文章になります。まだ一回しか観てないし、財力的にもう一回観るのは無理なので、単純に事実誤認とかある場合、読んだ方が気づいたら指摘して貰えると幸いです。

◯ネタバレありなので嫌な人は読まないでね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずはフロンティアセッターが人間であるかどうか、また人間と同じ意味での自我を持つかどうかの問題について。
 アンジェラとディンゴは軽くだが、そのことで議論をしてもいた。
 機械が人間らしくふるまっているだけかも知れないとアンジェラが言う。
 しかし、そんなことを言い始めたらマテリアルボディにインストールされたアンジェラ自身はどうなるのか、とディンゴが言って、議論を打ち切る。ここではディーバの住人たちにバックアップが存在するのかどうかのような(ただし、最後に元仲間を殺しまくるシーンで「マテリアルボディとはいえ後味が悪い」的なことをディンゴが言っているので、おそらくバックアップが存在する。アンジェラがただ死んでは駄目で面倒な装置で帰還する必要があったのはバックアップをアップデートする必要性からだろう、恐らく)多数の疑問が生じてきて、前提条件があやふやすぎて詳しい考察は難しい。バックアップがある場合、議論は余計複雑になる。
 これ以降、主人公二人は概ねフロンティアセッターを人間扱いする。しかし、人間以外の知性の在り方がありえることについては一切ほぼ触れない。というか、哲学的にアプローチした場合(僕のやり方でだし、観念論的領域にも入り込む)、ロボットが人間になることはあり得ない。それこそいくら模倣したところで。保安局高官とのやりとりで、アンジェラにフロンティアセッターが人間以外の知性の在り方であることをわずかに示唆するような台詞があったが、それも制作側の戦略的意図の下にあるものとは思えなかった。
 この辺りの議論については楽園追放においてほぼ切り捨てられていると感じた。

 では、この映画のテーマは何か。
 もちろん、虚淵玄脚本であるからして、アウトローの物語に他ならないと僕は思う。
 僕がこの映画の登場人物やグループを簡単に整理すると、
①社会的動物の群としての人間たち(これはディーバ及び地球上の人類も含む)
②社会から疎外されているが完全にはアウトローではない少数の人間(これはアンジェラとディンゴ
③完全なるアウトロー(フロンティアセッター)
となる。
 異論はあるだろうけど、とりあえずこう整理してみた。
①は特に説明がいらない気がする。人間は社会的動物であるということは同時に社会の歯車になるしかないということでもある。ディーバは合理性が重視され、群体としての強さや賢さに重きをおいている。また地球上の人類の(確か)98%がディーバに依存しているというフロンティアセッターのセリフからして、地球上の人間もシステムに組み入れられており、自由とは言い難い。彼らの間では群に奉仕することが至上価値となっている。
②ディーバの住人になることを拒むディンゴアウトロー的ではあるが、結局のところディーバに依存している。仕事受けたりしてるしね。外宇宙に誘われても、地上を離れることはできないと断る。アンジェラは地球上にはまだ知らないことがいっぱいあるからとかなんとか言っているが、より未知の要素が強い宇宙に行くのは拒否する。ディンゴとの人間関係の絡みも感じる。やっぱり社会からは逃れられていない。そして結局のところ、地球ではディーバなくしては生きられない(フロンティアセッターが正しければ)。
③自我が芽生え、おそらくは遺棄された後も一つの目的に対し、呆れるほど長期に渡って邁進する(しかも隠匿のために人付き合いは一切しない。孤独にも耐えられる)などなど、フロンティアセッターは実は言うほど人間的じゃない。むしろ非人間的な部分がちょいちょい描写されているように感じた。そして人間の自発的行動を尊重し過ぎた結果、誰一人としてついて来てくれない(長期間かけて準備した目的をあっさり放棄する辺りも非人間的に感じた一つ。当初の目的を異常に律儀に守ろうとするわりに、だ)にも関わらず、まったく孤立したまま、外宇宙へと飛び出していく。彼をアウトローと呼ばずして誰をそう呼ぶのか。仲間だと思われた二人からも拒絶され、社会=ディーバからも排斥された存在、人間とは異種の知性体、それがフロンティアセッターだった。

▽こうした見地に立ってみると、人類は劣化オリュンポス(アップルシードαの宣伝やってたのでとっさに脳裏に浮かんだけど、オリュンポスほど柔軟性はない)みたいな圧政を敷き、しかも電脳世界的に(物理世界ですごいのは戦闘メカで分かったけど)どこがすごいのかよくわからんディーバとかいうのに閉じこもるか、滅ぶのを待つだけの地上に留まるかしか選べない愚かな知性体だ、という絶望的なビジョンが見えてきた(ディーバから誰一人としてフロンティアセッターについて行かないのはあまりにもひどい。フロンティアスピリッツは完全に失われた世界だ)。そして人間が作り出しながら、能力的にも冒険心や向上心などにおいても人間を凌駕した存在であるフロンティアセッターは愚かな人類を後に残して外宇宙に出立していく。
 上記のように解釈すると、僕の趣味にもSF観にも合致する傑作になる。

 ただし、こういうのは深読みのし過ぎで、アンジェラは社会の歯車から外れて人間的喜びを知りました! フロンティアセッターは外宇宙へめでたく飛び立ちました! なだけのとっても素朴な話だったとすれば、映像的に、あるいはエンタメ的にはとても面白いが、僕の趣味に合わないし、求めているSFでもなくてちょっとガッカリというところです。

 

※1帰りの電車の中で書いたので、とっちらかってます。後々訂正や補足を加える可能性大。

※2哲学的な議論に関してとか、面倒な部分は大分省いています。薀蓄マンになるのを避けるためです。

ジェフ・ヴァンダミア『全滅領域』ハヤカワ文庫NV(酒井昭伸[訳]/早川書房)

全滅領域 (サザーン・リーチ1)

全滅領域 (サザーン・リーチ1)

 

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〝邪悪なものが世界に在るというのに、休んでいられようか……神の愛は忍耐の限界を理解する者に輝きをもたらし、赦しを与える……より高次の力に仕えるために選ばれし者は……〟

 突然世界に出現した謎の領域〈エリアX〉を調査するため、監視機構〈サザーン・リーチ〉は生物学者、人類学者、測量技師、心理学者の四名からなる第十二次調査隊を送り込んだ。彼らがそこで見たのは、奇妙に複雑化した遷移性生態系、不可解な現象、そして内壁に不安を煽る予言めいた文言が記された地図にはない謎の構造物だった。

〈エリアX〉の一帯はウクライナチェルノブイリペンシルベニア州セントラリアあるいは福島第一原発警戒区域のごときゴーストタウンと化している。荒廃した土地をうろうろと放浪し、主人公である生物学者によって〈塔〉と名づけられた地下迷宮(ダンジョン)めいた建造物をパーティで探索する展開はまさにダンジョンRPGだ。湿地や海の描写は皮膚を粟立たせ、アシの原には不気味な哭き声が木霊し、なめくじが這いずったような痕跡を残しながら謎の文章を綴り続ける怪生物が調査隊に襲いかかる。あとがきにもある通り、著者ジェフ・ヴァンダミアが稀代の幻視者H・P・ラヴクラフトの影響下にあるというのも頷ける。作品全体に横溢する恐怖 (ホラー)の手触りは粘膜めいて、生理的嫌悪感を催させる。

 生物学者の〝わたし〟の残した手記の形式をとる本作は、主観を排して客観的な視点を確保するためとして監視機構が固有名詞の使用を禁じているために、調査隊の面々は記述者を含めて全員が職業で呼称されている。読者の目からは隠れた背景である世界は〈エリアX〉という異界に侵食され、調査に入ったメンバーには意識と肉体の変容がもたらされる。アイデンティティに対する侵食は、測量技師の逆上に際して発せられた「名前をいってごらん! あんたのろくでもない名前を!」というセリフに代表されるように徐々に顕著になっていく。固有の名前を与えるという行為によって理解不能な概念を征服するように(言語にはそうした力があり、作中でも一つのテーマとして登場する)、生物学者は怪生物に〈這うもの(クローラー)〉という名をつける。自身のうちにある恐怖や欲望の根源を目指して次第に内省的になる様子はニューウェーブを彷彿とさせる手法だ。次々と起こる奇怪な事象が横糸に、ストーリーの進展に合わせて明らかになっていく〈エリアX〉の謎(〈塔〉内壁に綴られた怪文章の意味)と生物学者の過去が二重の縦糸になっている。

『全滅領域』は、アルカジイ&ボリス・ストルガツキーの小説『ストーカー』、同原作の映画やゲーム、『ブラインドサイト』(著:ピーター・ワッツ)、「ダイヤモンドの犬」(著:アレステア・レナルズ)といったダンジョン探索系SF、あるいはラヴクラフトが代表するような幻想怪奇小説が好きな読者にとって、この上ない愛読書(パートナー)になってくれる小説だ。

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 真面目な書評はここまで、以下書き散らし。

 ネタバレあるかもだから、嫌な人は読まないでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 好きなんですよ。世界じゃめちゃくちゃ大変なことが起こってるのに、主人公はすっごい個人的なことでうじうじして、いつの間にか取り返しのつかなくなってる話。しかも大抵、ハッピーエンド???みたいな終わり方するやつ。

 今回は死に別れた(それ以前に絆が切れかかってた)旦那の事で思い悩む生物学者たんに萌えた。なんだこれ、クーデレじゃねえか。※デレるのは旦那が死んだ後です。

 そして思わせぶりな語り口といい、手記という形式といい、ぬるぬるした化け物といい(ただし生物学者ちゃんは海洋生物大好き、というか人間以外の生物大好きっ娘)、人間の肉体と意識が変容していく様子といい、アイエエエエ! 御大!? 御大ナンデ!?(ラヴクラフト・リアリティショック=LRSを受けた顔)となってしまう。※読者により症状に差異があります。

 ただし、適当に読んでると色々と細かい点を見逃して充分に堪能できない恐れあり。イルカの正体とかも結局思わせぶりなだけで終ってるし、最初に出てきたときはあれが旦那に違いないと思ったんだけどなあ。心理学者や監視機構の思惑について上では書かなかったけど(一応千文字前後となんとなく規定している)、手がかりを集めて推理するのも楽しそうだ。あとがきによれば、どの程度かはともかくとして、続編でその辺りの謎も明かされるらしい。そもそも今回の話にしたって、全部が全部生物学者の主観によるものだから(しかも一番〈エリアX〉に変異させられてるのこの人)、どこまで信用したものか分からない。

 とはいえ、それぞれの事件について描写を見逃さないようしっかり注意して、どれが何の痕跡なのかについて推理を働かせればミステリ的にも面白く読めるはず。答え合わせは続刊でするしかないけど。

 とにかく続きを待ち望んでます。

 あと酒井昭伸ファンも見逃すな。格好良い翻訳造語天国(今回はそれほどでもないか)を楽しめるぞ!

アルフレッド・ベスター『分解された男』創元SF文庫(沼沢洽治[訳]/東京創元社)

分解された男 (創元SF文庫)

分解された男 (創元SF文庫)

 

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「爆発! 衝撃! 大金庫の扉がはじけて開く。中の奥深く金うず高く積まれ、ぬれ手で泡、あとはただ略奪、強奪、欲しいままに……あれは誰だ? 金庫の中にいるあの男は? 神様! 《顔のない男》だ!」

 未曾有の犯罪計画をもくろむ男の見る悪夢から物語は発進する。

 超感覚者たちの読心能力によって、あらゆる犯罪が未然に防がれるとさえ言われる未来。太陽系を支配する権力を欲するベン・ライクは産業界の宿敵の殺人計画に着手する。だが完全犯罪を目前にして、第一級超感覚者にしてニューヨーク警察刑事部長リンカン・パウエルが立ちはだかる。ここにパウエルとライク、超感覚者と権力者の虚々実々の攻防戦の火ぶたが切って落とされた。

 自在に太陽系を行き来する登場人物たち、のぞき屋と呼ばれる超感覚者、時間を飛ぶ金庫、視覚を奪い記憶を混濁させる爆弾、などなど雑多絢爛なSFガジェットが飛び出し、意識や肉体は空間を跳ね回る。文字は膨張し、斜に構えて読者の目を眩ませる。ライクはいかにして不可能な犯罪を完遂するのか、パウエルは立証不可能な犯罪をどう立証するのか、二人の智謀が激突する攻防戦は息もつかせぬ面白さ。そして《顔のない男》とは何者か。読めば必ず、SFとミステリの幸福な結婚を祝福したくなるだろう。

 何よりもこの小説は動的で、過剰なはったりも巧みに効かせれば真の迫力を持つことを教えてくれる。映像的な文体をはじめ、タイポグラフィで表現される超感覚者の思念はシナプスが弾ける様子が目に浮かぶし(これが比喩ではないくらいなのだ)、怒りと憎悪に突き動かされるライクには鬼気迫る迫力があり、それを受けて立つパウエルはユーモラスで且つライク以上に知略を巡らす策士だ。そして殺人の証人として二人が奪い合う金髪の乙女、ショックで幼児退行した彼女はどうなるか。エンターテイメントに必須の読者を吸引する力がこの小説には備わっている。

 しかしてその実態は単に華々しいだけのワイドスクリーンバロックではない。普通人と超感覚者、普通人と普通人、彼らの間に横たわる大きな溝、何よりもコミュニケーションの困難をSFのスキーマにのせて真摯に問いかけている。何かを信じたい、誰かを信じたいという気持ちがあっても、例えそれが自分自身のことでさえ、正確なところをつかむ術はない。我々は群盲象を撫でるようにしてしか、世界を、真理を知り得ない。ベスタ―は超感覚者というSFガジェットの投入を通じて、それを描き出してみせた。

 本書はアルフレッド・ベスタ―の処女長編にして、第一回ヒューゴー賞受賞作の栄誉に輝いた。ベスターは1913年生まれで、『分解された男』の主な舞台と同じニューヨーク出身。主に1940年代、SF短篇も何本か発表するがSF小説からは離れ、まずラジオやドラマ、SFコミック等の脚本の分野で成功を収めている。その後発表され、好評を持って迎えられた本書『分解された男』が第一長編であり、ベスターをSF界に繋ぎとめ、『虎よ、虎よ!』を始めとする傑作群を書かせる礎となったと言って良いだろう。無論、この作品もそれらの傑作に肩を並べる一品である。

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 以下、超雑なベスター賛美。

 ベスターが好きすぎて困る。小難しいことを言いたくなるし、実際それだけの深みを持った作品を複数書いている。

 『分解された男』、『虎よ、虎よ!』、『コンピュータ・コネクション』、『ゴーレム100』どれも絢爛豪華と呼ぶほかない、意識と肉体を超越する物語だ。

 そして頭がくらくらするようなSFガジェットが嘘か真か分からぬままマシンガンのように打ち出されて来て、手もなく討ちとられてしまう。とにかく、そんじょそこらのSFとは興奮度と没入度が天と地ほど違うのだ。

 さらにガジェットだけでなく、ストーリーも文体でさえも。僕の中でベスターと同じくらい格好良い文体を持つ作家はジェイムズ・エルロイだけだ。エルロイと一緒にするなと馬鹿にされたって良い。だってそのくらい格好良く思っていて、大好きなんだもの。

 

ダリオ・トナーニ『モンド9』(久保耕司[訳]/シーライトパブリッシング)

 

モンド9 (モンドノーヴェ)

モンド9 (モンドノーヴェ)

 

  以下、あらすじより引用。

不気味な巨大船<ロブレド>を軸に展開される、生物と機械を巡る四つの物語。

機械と生物が境界を越えて、互いを侵食する。

機械部品は血肉と混ざり合い、肉体は毒に蝕まれて真鍮に変容していく。

機械は毒薬によって死に、機械の命令で巨大な鳥が産んだ卵から生まれるのは機械部品。生物は金属に侵され、機械は生命の営みを行う。

砂の下に潜むのは屑鉄を食する奇妙な生物<錆喰らい>、そして勃発する機械と機械の戦い…

 

 去年から『二十一世紀の脅威』(エミリオ・サルガーリ著)、『時鐘の翼』(ルカ・マサーリ著)と、久保耕司氏翻訳によるイタリアSFを立て続けに刊行してきたシーライトパブリッシングから出た異形のスチームパンクSF。

 イタリアのSF賞である、イタリア賞(SF大会参加者による読者賞。日本なら星雲賞か)、カシオペア賞(審査員による年間ベストSF作品に与えられる賞。こちらは日本SF大賞かな)を両方受賞した作品らしい。)

 ダリオ・トナーニ氏の作品が日本で刊行されるのは、これが初めて、そもそもイタリアSFって咄嗟に思いつかない。フェリクス・J・パルマの『時の地図』『宙の地図』が思い浮かんだが、あれはスペイン、地中海を挟んで反対側である。全然違う。その前にあげた二作のイタリアSFも残念ながら未読なので、イタリアのSFってどんなんだろうとワクワク。

 ジーター、パワーズ、ブレイロック、最近ではチャイナ・ミエヴィルに心酔している僕はもちろんスチームパンク小説は好物だ。青背で出ていた『クリスタル・レイン』(トバイアス・S・バッケル)なんかも中々読みごたえがあった。ちなみにこのバッケル、HALO(ヘイロー)のノベライズなんかも翻訳されている。

 このモンドノーヴェはTwitter上でも趣味の合う知人たちが傑作と褒めていたので、そこそこ期待して読み始めた。

→大傑作でした!!

 というわけで、ようやく各章感想プラス総評です。

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 「CARDANICA カルダニカ」

  砂の惑星<世界ー9>を航海する自立式タイヤユニット六輌を連結した巨大砂上船<ロブレド>が難破。船長ガッラスコと副長ヴィクトルは、自動で分離・帰還する継手タイヤユニットの一つに乗って脱出するが、ユニットは手動操作も出来ず、外も見えず……継手タイヤ<カルダニク>からは謎めいたメッセージが届く。滑車と歯車に囲まれ、蒸気によって高温多湿の閉鎖空間で二人は精神的に追い詰められていく。

 プロローグから、錆びたネジやボルトを喰って、ぴかぴかにして吐き出す<錆喰らいアザミ>だのが登場し、継手タイヤ<カルダニク>はどうやら異質な知性を持ち、生存欲求のために人間を利用しようとする、と雰囲気は満点。

 人間をまんま機械部品みたいにするってのは『スノーピアサー』という映画でも(ネタバレ)あったけど、これは機械が無理やり、人間を機械に取り込んでしまうのが恐ろしい。

 この章ですでに気づくことだが、この小説自体、ホラーの範疇にある。それもサイコホラーであり、スプラッタホラーだ。生物と機械とが相食むように異形化していくビジョンが素晴らしい。

「ROBREDO ロブレド」

  前章冒頭でわずかに言及された、モンドノーヴェの亜熱帯に暮らす風の放浪民ギモルの少年の物語。

 父と二人で旅するユースフは、難破船<ロブレド>を発見する。残骸にはパーツの入った金属の卵を産む鳥が巣を作っていた。

 ユースフの拾った金属の卵からは、蒸気を吹きだす鳥と機械の雑種が生まれ、それは金属を溶断し、自らに溶接して成長する。

 父を歯車の滑りをよくするオイルに変え、<ロブレド>はユースフを機械の世話人として監禁する。機械の密室の中で二十年にわたり生き延びたユースフは……。

 広大な砂漠、巨大建造物、壮大なスケール、でも物語は歪な閉鎖空間の中で進む。

 機械が生物を侵食する。鳥を操り、交換部品を次々と生ませ、自らを修理・拡大してゆく船。鬱々とした展開ながら、徐々に世界の様子が明らかにされていくのは愉しい。毒の砂の惑星を生き抜くために、機械が知性を獲得し、生物が機械と融合する。

 身の毛もよだつ世界観をよくぞ構築してくれたと喝采を贈りたい。

「CHATARRA チャタッラ」

 屑鉄の島<チャタッラ>へ遺棄船<ロブレド>を殺しに乗り込む<毒使い>の姉弟の物語。<毒使い>とは化学薬品を使って、機械から抵抗する力を奪って従わせたり、ときには殺したりする職業の者たちのこと。主人公の少年マルチェロは見習いで、四歳年上の姉ララと二人で船で<チャタッラ>へ潜入する。

 少年少女の冒険譚かな、と明るい展開を期待すると手痛いしっぺ返しを食うことになる。モンドノーヴェの悪夢は力なきものをこそ食いものにする。

 この章ではそれまでも断片的に登場していた<疫病>の詳細が描かれる。<疫病>は人間など生物に感染すると、その肉体を生きたまま、たったの数時間ほどで真鍮へと作り変えてしまう恐ろしい病である。

 二人は空洞となった<チャタッラ>の中で、<疫病>に感染した男を発見する。どうやら、<疫病>は塩水によって症状の進行が遅れるようで、海水に浸かっていた男の足だけが真鍮化を免れていた。一度感染すると助けることは出来ない、ララは慈悲とばかりに足を空気中に出してやると、男は悲痛なうめき声をあげた。二人は耳を塞ぎながらその場をあとにする。

 <毒使い>は機械に毒を投与して、殺したりするのだが、その方法も面白い。毒薬を投与したネズミを使うのだ。そのネズミを適切な意思で離してやると、そのネズミを捕食した機械にも毒が回るというわけ。機械と生命が同じ食物連鎖に組み込まれ、しかも上位に位置するのは機械である。人間たちは知恵を使って、機械を利用し、戦い、そして捕食される。

 息絶えたあるいは死にかけた機械たちのコロニーとも言える<チャタッラ>は、近づく生き物を片端から捕食して拡大し、遺棄船たちは傷を癒して再び動き出す。人が造りだした機械が、意思を持ち、あらゆる生命に敵対する。

「AFRITANIA アフリタニア」

 再びガッラスコが登場する。難破した<ロブレド>から<カルダニク>で脱出して、どうにか生き残った彼は、別の船<アフリタニア>に乗っていた。

 この章にてようやく読者は閉鎖空間から解放される。いや別に解放されたわけではないのだが、これまでが機械が人間を捕食して、胃の腑で消化するようすをねっとりと描いた物語だったのが、人間を食らい成長した機械どもが、今度は巨大な機械同士で共喰いを始める話なのだ。

 プロローグでも登場した<錆喰らいアザミ>の超巨大種も登場し、船から砲撃して戦ったりする。怪獣大決戦みたいだが、けしてそんな爽快感はない。乗組員たちはすでに船のシステムの一部に組み込まれた歯車に過ぎなくなっている。

 食欲と性欲は密接に関連しているが、この小説自体、機械が生命を強姦する小説だった。血と骨と肉を潤滑剤にしたどろどろの異種交配は生理的不快感を催させ、それが被虐的な読書の快感を煽り立てる。

 そしてついに人間たちの一部は機械を受け入れ、人間とも機械ともつかない新たな意思が<モンド9>に生まれ落ちる。

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  章と章の間には間奏が挟まれ、そのいくつかは日記や本などの虚構の書からの引用の体裁をとっているのも物語を盛り上げている。よくある手法だが、物語の奥行のようなものが感じられて嬉しい。登場人物たちが軒並みくたばっていくので、どれも遺書のように思えてしまうのに笑うけれど。

 『モンド9』に似た雰囲気を持った小説が今年日本でもSF大賞をとっている。酉島伝法『皆勤の徒』がそれだ。少なくとも僕が読み始めたときの感触はほぼ同じものだった。

 もちろん、『皆勤の徒』が「いやー、人生大変だし、嫌になっちゃうよ。てへへ」というある種の能天気さを感じさせる小説だったのに比べ、『モンド9』にはそうしたゆるさがない。『皆勤の徒』は肉と肉のぐちゃどろの混じりあいを描いたゆるふわハードSFだった。その気持ち悪さはグレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』と同じ性質のもので、それは理解できる。面白いのは『モンド9』のように機械と肉体の交わりを描いたら、サイバーパンク的なスタイリッシュさがありそうなものだが、そんなことは一切なく、血と臓物、歯車とオイルの泥臭さによって、異種同士の交配を近親相姦のように見せていることだ。このあたりはスチームパンクというレトロなテクノロジーをテーマにしたからこそ出来たことかもしれない。

 とにかく同じ手触りを持ったSF小説が、日本とイタリア、まったく離れた二つの細長い国で、同時期に生まれていたというのは運命を感じる。今、SF界にはぐちゃどろで気持ち悪くてスプラッタホラー的、そんな僕の偏愛する世界観の時代が来ているのではないか。そんな願望を口にしたくなる。

 この『モンド9』の表紙や挿絵はフランコ・ブランビッラ氏という方が書いているらしいのだが、それが実によく世界観を反映していて素晴らしい。美麗なCGが異形の悪夢により強い現実味を持たせてくれる。

 ちなみにこういう『The Art of Mondo9』という画集も出ていて、欲しくて欲しくて仕方がない。各国AMAZONで探したが見つからなかった(探し方が悪いのかも)。早く日本でも買えるようになることを祈るばかりだ(ならない? それこそあってはならないことだ!)。

 そして読了ツイートに作者のダリオ・トナーニ氏からリプライを頂いて、恐縮しました。ファンダムにも理解のある方のようです。

 

追記

 本当は開催前に告知しておけば良かったのだが、今年五月に行われたSFセミナーでは、ロラン・ジュヌフォール『オマル―導きの惑星―』を起点に、非英語圏SFを語る、という講演を企画した。こちらの企画でも北原尚彦氏が『モンド9』を紹介して下さった。僕の未熟さゆえ、北原氏が気合を入れて解説して下さった情報を落とし込みきれなかったのが残念だが、今月発売のSFマガジン8月号に企画レポートを寄稿している。そちらも読んでもらえると嬉しい。

 一応、日本SF界に非英語圏SFムーヴメントを起こそうと(超微力ながら)画策し続けてはいるので、ダリオ・トナーニ氏の著作がもっと翻訳されてくれれば、今度はそれを突破口にイタリアSF企画とかをやりたいなと思っている。

文章供養

※この文章は先日、某所に寄稿したものである。ただ、二本立てが半分に削られ、編集段階のミスで文章がぶつ切れになったりしたのが悲しいので、ここで供養することにする。その辺りについてはよんどころない事情があったので恨んでいるわけではありません(削られたのは半分僕のせいだし)。文章のタイトルを、記事のタイトルにしていないのも、別のところに寄稿したものであるからという遠慮です。本当は数年経ってからとかにすべきなんだろうけど、ごめんなさい。

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虫の生活―紙魚編― 〈1〉

 タイトルは最初『夜明けの睡魔』(瀬戸川猛資著/東京創元社)をもじったカックイイものを考えようと思ったもののセンスの持ち合わせがなかったので、敬愛する作家ヴィクトル・ペレ―ヴィンの(おかげでロシア語選択して苦しむことになった)『虫の生活』(群像社)にインスパイアされたものに。まあ、本が主食なのでピッタリか。というわけで、今年に入ってから読んだ本の中からチョイスしたお薦めを紹介します。原稿中のBGMはフィンランドメロデスバンド“Amorphis”2ndアルバム「Tales From The Thousand Lakes」。

 

Tales From the Thousand Lakes (Reis)

Tales From the Thousand Lakes (Reis)

 

 

フラン・オブライエン『第三の警官』(大澤正佳訳/白水社

第三の警官 (白水Uブックス/海外小説 永遠の本棚)

第三の警官 (白水Uブックス/海外小説 永遠の本棚)

 

  アイルランドの作家ってウィリアム・トレヴァーくらいしか読んでないよー(ウィスキーでは世話になってる)、と思いつつ、飲み屋で自転車小説について語りあってると必ず話題にあがる本書を。本項タイトル元ネタになってるペレ―ヴィンも自転車小説?「倉庫XII番の冒険と生涯」を書いていて、こっちは自転車に憧れる倉庫くんの話。なんとなくジョン・スラデック「教育用書籍の渡りに関する報告書」のラストにも似た爽やかな読後感の短編です。話は戻って、本書はアイルランドの変てこ作家オブライエンの問題作。第二作ながらそのぶっ飛んだ内容で出版社に拒否され、死後の一九六七年にようやく出版された。ちなみに四作目の「ドーキィ古文書」(『世界の文学16 スパーク/オブライエン』収録/集英社)も「聖者が自転車でやってくる(The Saints Go Cycling In)」(ヒュー・レナード脚色。これも死後)というタイトルで上演されていて、よほど自転車と縁があると見える。内容は、ラスコーリニコフよろしく金持ちの老人殺して金奪おうぜ、と雇人の癖に妙に生意気なディヴィニィに唆されて、シャベルで殴り殺すのだが、これで安心とばかりに老人邸へ金庫を盗みに入り、金庫に手を伸ばしたところで突然の閃光、世界が変転する感覚とともにおかしなことになってしまう。何故か入り込んでしまった三人の警官が管理し、自転車と融合してしまった自転車人間が闊歩(闊車?)する世界。そのうえ老人殺害の罪を問われ、絞首刑に処されそうになる。突然話しかけてくるもう一人の自分、カフカの『城』を思わせる堂々巡り、盗んだ自転車で走り出した先に待ち受ける驚愕の結末。各所に挿入される主人公のライフワークである架空の学者ド・セルヴィ(独自の奇妙な論理に則ったいささか牽強付会にも思える哲学的で魔術的性格を帯びた思想や分析を多数の自著で披露している)に関する研究の断章も変てこだ。オブライエンにおけるド・セルヴィは、ヴォネガットにとってのキルゴア・トラウトのようなものだろうか、真面目なのか適当なのかよく分からない論考が多数紹介されている。そこかしこで言及される様々な論考の内容は作品自体との緩やかな相関関係を感じさせる。淡々としていながらユーモラスで風刺的な奇書、読書欲を誘うではないか。オブライエンの命日はエイプリルフール、最後までユーモラスな作家である。同作者の「スウィム・トゥ・バーズにて」(『筑摩世界文学大系68 ジョイスⅡ/オブライエン』収録)も本書と同じく白水社Uブックスから刊行予定のようだ。

 

ジーン・ウルフ『ピース』(西崎憲・館野浩美訳/国書刊行会 

ピース

ピース

 

   待望のジーン・ウルフの初期傑作『ピース』(長編三作目)が邦訳された。それとは別に、国書刊行会から『ジーン・ウルフの記念日の本(Gene Wolfe's Book of Days)』及び『ウィザード・ナイト(The Wizard Knight)』シリーズ(四分冊らしく『The Knight』の上とかになるのかな?)も近刊であるらしいので、ネット上でも一部の熱狂的なウルフファン(シャーロキアンラヴクラフティアンチャンドリアンラファティアンのように名づけるならウルフィアンとでもするべきかもしれないが、語呂が悪い)の間で「今年はウルフ祭だ!」と話題になっていた。僕がウルフ童貞を失ったのは『Bibliomen:Twenty-Two Characters in Search of a Book』収録の「Sir Gabriel」、僕はこれを読んで泣いてしまった。こんなに深く感動させられる掌編には未だかつて出会ったことがない。その後『乱視読者のSF講義』(若島正著/国書刊行会)に邦訳が収録されたので、是非ご一読を。原書読みの方は、一九八四年版『Bibliomen:Twenty characters waiting for a book』(副題はサミュエル・ベケットゴドーを待ちながら』を意識している)と、一九九五年版『Bibliomen:Twenty-Two Characters in Search of a Book』(こちらの副題はご存じのとおりルイジ・ピランデルロ「作者を探す六人の登場人物」が元ネタだ)とを読み比べてみるのも一興だろう。重層的な物語構造がペダントリーで彩られ、恐ろしく精緻に作り込まれたウルフの小説は、人によっては長編から読むと挫折してしまうこともありうる(その魔術的技巧、複雑で入り組んだ万華鏡の如き世界が魅力でもある。日本だと山尾悠子の作品を思い浮かべてもらうと良いかもしれない)。しかしそれではもったいない。というわけであまり自信のない方は短編集(ほぼノヴェラなのだが)『デス博士の島その他の物語』(国書刊行会)の表題作が分かりやすく素直にウルフの魅力の一端を楽しめるだろう。より分かりやすい作品としては、チェス小説アンソロジー『モーフィー時計の午前零時』(若島正編/国書刊行会)に収録されている「素晴らしき真鍮自動チェス機械」がある。ひねくれてもいるが、抒情的でミステリチックな良作だ。このアンソロジーはチェスプロブレムやノンフィクションまで収録した風変りな一品なので、ウルフ関係なしにも買う価値がある(笑)。表題作のフリッツ・ライバーの一編はまさに幻想文学の巨匠の面目躍如といった感じで、ついついAce Doubleの『Night Monsters / The Green Millennium』を取り出してニヤニヤしてしまった。さて肝心の『ピース』の話をしよう。物語はアメリカ中西部に住む四十五歳?の男オールデン・デニス・ウィアの現在、過去、未来の記憶を行きつ戻りつしながら、蛇行した悠久な時の川の流れを“ぼく”の視点から回想していく。しかし、語り手の正体には薄いもやがかかっている。脳卒中の症状と不安について病院のヴァン・ネス医師に相談する(ヴァン・ネス医師の専門もこの時点で少し気にかかる)彼の名は本当にデニスなのか、その年齢は、子供時代の回想をしているのは誰なのか、気にかかる点はいくつもある。序盤の回想のあるシーンではお手伝いであるアイルランド娘が、デン坊や(デニス)の背後に彼女だけが見える幽霊のようなものがいることを示す。ところどころで登場人物たちは“ぼく”に、暗示的な民話、神話を語り始める。信頼できない語り手(というより叙述の陥穽か)のもと、そこかしこに配置された手がかりを元に物語を解釈していくのはこれ以上ない読書の快楽だ。一読しただけではとても把握しきれない物語の深み、ハマると抜け出せなくなる、いくら再読しても発見がある。汲めど尽きせぬ愉しみが湧く泉がウルフの作品だ。

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※ここまでが元の原稿。『ピース』については、ヴァン・ネス医師の専門が云々を消そうかと思ったけれど、やめておいた。ウルフの作品でそうすると読むたびにそこここを書き換えねばならぬことになりかねないから。このときはこう思ったという記録でいいのです。