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主に虚構に関する生起しつつあるテクスト

アルフレッド・ベスター『分解された男』創元SF文庫(沼沢洽治[訳]/東京創元社)

分解された男 (創元SF文庫)

分解された男 (創元SF文庫)

 

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「爆発! 衝撃! 大金庫の扉がはじけて開く。中の奥深く金うず高く積まれ、ぬれ手で泡、あとはただ略奪、強奪、欲しいままに……あれは誰だ? 金庫の中にいるあの男は? 神様! 《顔のない男》だ!」

 未曾有の犯罪計画をもくろむ男の見る悪夢から物語は発進する。

 超感覚者たちの読心能力によって、あらゆる犯罪が未然に防がれるとさえ言われる未来。太陽系を支配する権力を欲するベン・ライクは産業界の宿敵の殺人計画に着手する。だが完全犯罪を目前にして、第一級超感覚者にしてニューヨーク警察刑事部長リンカン・パウエルが立ちはだかる。ここにパウエルとライク、超感覚者と権力者の虚々実々の攻防戦の火ぶたが切って落とされた。

 自在に太陽系を行き来する登場人物たち、のぞき屋と呼ばれる超感覚者、時間を飛ぶ金庫、視覚を奪い記憶を混濁させる爆弾、などなど雑多絢爛なSFガジェットが飛び出し、意識や肉体は空間を跳ね回る。文字は膨張し、斜に構えて読者の目を眩ませる。ライクはいかにして不可能な犯罪を完遂するのか、パウエルは立証不可能な犯罪をどう立証するのか、二人の智謀が激突する攻防戦は息もつかせぬ面白さ。そして《顔のない男》とは何者か。読めば必ず、SFとミステリの幸福な結婚を祝福したくなるだろう。

 何よりもこの小説は動的で、過剰なはったりも巧みに効かせれば真の迫力を持つことを教えてくれる。映像的な文体をはじめ、タイポグラフィで表現される超感覚者の思念はシナプスが弾ける様子が目に浮かぶし(これが比喩ではないくらいなのだ)、怒りと憎悪に突き動かされるライクには鬼気迫る迫力があり、それを受けて立つパウエルはユーモラスで且つライク以上に知略を巡らす策士だ。そして殺人の証人として二人が奪い合う金髪の乙女、ショックで幼児退行した彼女はどうなるか。エンターテイメントに必須の読者を吸引する力がこの小説には備わっている。

 しかしてその実態は単に華々しいだけのワイドスクリーンバロックではない。普通人と超感覚者、普通人と普通人、彼らの間に横たわる大きな溝、何よりもコミュニケーションの困難をSFのスキーマにのせて真摯に問いかけている。何かを信じたい、誰かを信じたいという気持ちがあっても、例えそれが自分自身のことでさえ、正確なところをつかむ術はない。我々は群盲象を撫でるようにしてしか、世界を、真理を知り得ない。ベスタ―は超感覚者というSFガジェットの投入を通じて、それを描き出してみせた。

 本書はアルフレッド・ベスタ―の処女長編にして、第一回ヒューゴー賞受賞作の栄誉に輝いた。ベスターは1913年生まれで、『分解された男』の主な舞台と同じニューヨーク出身。主に1940年代、SF短篇も何本か発表するがSF小説からは離れ、まずラジオやドラマ、SFコミック等の脚本の分野で成功を収めている。その後発表され、好評を持って迎えられた本書『分解された男』が第一長編であり、ベスターをSF界に繋ぎとめ、『虎よ、虎よ!』を始めとする傑作群を書かせる礎となったと言って良いだろう。無論、この作品もそれらの傑作に肩を並べる一品である。

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 以下、超雑なベスター賛美。

 ベスターが好きすぎて困る。小難しいことを言いたくなるし、実際それだけの深みを持った作品を複数書いている。

 『分解された男』、『虎よ、虎よ!』、『コンピュータ・コネクション』、『ゴーレム100』どれも絢爛豪華と呼ぶほかない、意識と肉体を超越する物語だ。

 そして頭がくらくらするようなSFガジェットが嘘か真か分からぬままマシンガンのように打ち出されて来て、手もなく討ちとられてしまう。とにかく、そんじょそこらのSFとは興奮度と没入度が天と地ほど違うのだ。

 さらにガジェットだけでなく、ストーリーも文体でさえも。僕の中でベスターと同じくらい格好良い文体を持つ作家はジェイムズ・エルロイだけだ。エルロイと一緒にするなと馬鹿にされたって良い。だってそのくらい格好良く思っていて、大好きなんだもの。